新築工事に伴う拝殿の解体で姿を現した真乙姥嶽の聖域は、石垣村の有力な豪族であった長田大主の妹、真乙(まいつ)の墓である▼真乙は、1500年のオヤケ・アカハチの乱に際して派遣された首里王府軍の帰還を祈願し、その功績が認められて神職を与えられた女性。真乙姥嶽は、八重山の歴史と深いかかわりのある場所でもある▼没後の墓がいつ御嶽となり、さらにいつ拝殿が造られたのか判然としないが、設計を担当する新川出身で1級建築士の照屋寛公さんによると、今回で5代目の拝殿になるという。照屋さんは、設計の依頼を受ける前からイメージ図を描くなど、並々ならぬ思いを寄せてきた▼御嶽を研究していた仲松弥秀氏(故人)と親交があり、著書「神と村」で紹介されている「腰当(くさてぃ)」を具現化しようと図面を引いた。腰当とは、幼児が親の膝に座っている状態を、民が祖霊神に抱かれて安心して寄りかかっている状態を指すという▼「真乙姥嶽は、まさに新川マフタネーの『腰当森』にあたり、字民は真乙姥嶽を心のよりどころにしている」と神が拝殿前の人々を抱きかかえる様子を形に。工事業者も「新川に生まれた人間として誇りを持って造りたい」と意気込む▼完成後はきっと、「腰当」の存在を強く感じることだろう。(比嘉盛友)
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