■酷暑のなかの豊年祭
連日30度を越す暑さである。8月1日にはことし最高の34・3度をマークした。そんな暑さを表現する言葉を歳時記でみると「火天・炎天・炎暑、炎熱・炎天下・炎昼・極暑・溽暑・炎天・油照・炎」等が出て来る。炎や酷暑という文字を見るだけでも汗が出て来る。八重山では灼熱(しゃくねつ)といえるアカティダという語がある。
そんな暑さの中、八重山各地ではプーリィ(豊年祭)が盛大に行われた。プーリィはことしの稲の収穫に感謝し、来年の豊作を予祝するまつりである。
プーリィには不可視の御嶽の神のほか、弥勒やアカマター、クロマターと呼ばれる仮面神が出現した。神には旗頭を奉納し、太鼓、巻踊、棒術、獅子舞、綱引きやツナヌミン、舟こぎ競争、ビッチュル(霊石)担ぎ、など多彩な芸能が奉納された。
一大年中行事だけに準備や費用もかかる。公民館離れの住民が多くなり、役員たちの会費や費用を集めるにも一苦労だ。
琉球王府時代、一部の祭祀(さいし)が費用が掛かりすぎるとの理由からであった。その後、百姓の生産意欲がうせるとして禁止は解かれたが、今も昔も祭祀に日数や経費が掛かることは
変わらない。
■公民館役員の苦労
華やかな祭の裏には公民館の役員たちの苦労がある。農業社会から消費社会となり、豊年祭に対する人々の意識もかわり、祭の準備のための人集めも四苦八苦の状態だ。小さな集落では郷友会の支援なくして祭祀は成立しないという厳しい現状だ。
また、移住者が増え、余興の練習等へ騒音と苦情が寄せられ祭祀もやり辛い状況だ。しかし、祭に賑わいはつきもので、相互の理解と協力が必要だ。
豊年祭ではないが、神へささげる供物にブンヌスーがある。山海の7産物のあえ物だ。材料の中でも、イシャヌメー(イボクサ)は農薬などで、絶滅状態で見つけることが難しい。つゆ草に似て見わけも大変だ。
神からひとびとに授けられるムヌダニ(種子)の五穀は主に稲、粟、麦、フームン(モロコシ)、甘藷である。現在、稲や甘藷以外はほとんど生産されていない。そのため、役員たちは祭祀用にイボクサや麦、粟、モロコシなどを庭や畑の片隅で栽培しているが、管理も大変だ。
五穀のかわりに現在の主要農産物であるマンゴーやパイナップル、サトウキビをささげている地域もある。穀物でもない甘藷が五穀に加えられたのと同じ考えであろう。
ただ、神が授ける五穀とひとびとが神に奉納するものでは性格が違う。苦労してでも伝統に固執する人たちと、現実に即するべきだという人たち。伝統と現代という古くて新しい課題も垣間見える。
■トゥニ・プーリィ
ムラプーリィの午前中、大川の大浜家では伝統の「ナカヌハカ」(中の区画)の「トゥニ・プーリィ」が行われていた。トゥニとはトゥニムトゥヤー(村発祥の宗家)のことで、そこで行われるプーリィの儀礼だ。
大浜家もかつては、親戚や隣近所の人たちが祈願に訪れたが、今は訪れる人もほとんどない。しかし、伝統的な供え物がなされ儀礼も受け継がれていた。大切にすべき儀礼だ。
華やかな祭祀は公民館役員や関係者、地域のひとたちの苦労と無償の行為に支えられている。急速な八重山社会の変化の中にあっても、このような豊かな精神文化が続くことを願いたい。