那覇丸、宮古丸。いずれも石垣港、平良港、泊・那覇港を結んで住民と荷物を運んだ往年の人気貨客船。数多の市民が那覇へ行くのに何度も乗船なさったことを覚えていらっしゃるのでは▼船は宮古を経由、ほぼ一日がかりの航海だった。一般乗客は大広間で雑魚寝、食事のカレーを盛った大皿を、曲芸師よろしく何枚も重ねて配る若い船員は花形だった▼一方食事どころか、いち早く寝場所を確保し横になったものの機関の油の臭いや船の揺れにたえられなくて、大きな洗面器にゲロを吐き、うなされている人も少なくなかった。何度か乗り合わせた男女が恋仲になった話も▼船は、その後大型化、名前もぷりんせす、えめらるど、さんしゃいんなど冠がつき、○○丸は時代遅れに。なかでも飛龍は、クルーズフェリーと称し台湾の基隆と先島を結び近くの外国を、より身近にした▼ところが人間、生活に余裕ができると金よりも時間を気にして、のんびり移動の船旅を捨て利便性のいい空の旅へ移っていった。運悪くこの頃、史上最高値の軽油の追い打ちもあり離島への貨客船は廃止が決まった▼今、島は外国人を乗せた大きなクルーズ船の寄港でにぎわっている。「戻ってきてよ、待ってるから。6月3日は飛龍未練の出航記念日」あの別離から満10年になる。(仲間清隆)
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