店の宣伝は二の次で、島らしい広告を考えてくれとの声がかかった。ホームセンター興南(現チャレンジ)を経営していた故上原秀人氏からだった▼「天気予報の欄に広告を載せたい。広告料は面積らしいね。広告料月○万円、条件はホームセンター興南の店名を末尾に入れること、あとの余白を埋めるのは君が考えろ」「ちょっと待ってください。このスペースは広すぎますよ」「だから、まかせると言ってるだろう」▼社で思案投げ首の体でいたら、校閲担当の故石盛利夫=石登志夫記者が歳時記をやろうと。そこでその案を持って伺った。この欄に時季折々の俳句と解説を入れてもいいですかと尋ねたら、まかせると言っただろうとそっけない。社に戻って石盛記者に「下手はできない。腹をくくって取り組んで」▼連載開始の数日後、どうですかと上原氏に尋ねてみた。「何とも言えない。読者が評価するだろう」とすげない▼ひと月後、広告料の集金で訪ねたら「客が喜んでいた。毎回切り抜いているそうだ。広告は続ける」とそれだけ▼上原氏の逝去で終了した歳時記広告は、その後、読者の投句をもとに八重山俳壇として継続、選者も石盛記者から伊良皆恵利子氏へバトンタッチ、選評付きで続いている。裏部屋もブーゲンビレア日和かな=石登志夫。(仲間清隆)
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