インドの伝統的な瞑想(めいそう)法に「ヨガ」がある。その一例▼修行者はまず太陽に意識を集中する。その結果、四六時中太陽が見えるようになったら次に水、大地、花、真珠などへ集中する。そのようにして何段階かの瞑想を経て、その鍛えられた瞑想法によって究極の目的、宇宙の本体をありありと眼前に見ることができるようになる▼さらに瞑想を続行していくとやがて、宇宙の本体とはそのまま、今、瞑想を行っている修行者自身の魂にほかならないという認識がその修行者にもたらされるのである。これがいわゆる「覚醒」なのであろう▼実は仏教も、そのインドのヨガの伝統の上に花開いた教えなのである。仏教はその教えを人間の実際上の生活に役立てようと周辺の民謡や伝説、習俗などを取り入れ、仏教の価値観や倫理観などを示そうとした。例えばお盆行事やエンマ大王などはその好例だろう▼われわれが幼かったころ、お寺の地獄絵を見て震えながら和尚さんからウソをつくと舌を抜かれるぞと怖い教育を受けたものだ▼ところで残念なことだが最近は、そのエンマ大王もだいぶ威力が落ちたようである。大事な約束を平気で破ったり、とんでもないウソをつく者が出てくるのに、その人たちが舌を抜かれたという話をとんと聞かない。(八重洋一郎)
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