八重山戦争マラリアを語り継ぐ会(玉城功一会長)は2日、尖閣列島戦時遭難事件を題材に劇作家の栗原省さんの協力を得て作成した紙芝居「さいごの台湾そかい船」を、県八重山平和祈念館で一般市民向けに初めて披露した。訪れた人たちは、紙芝居を通して八重山戦争マラリアとは別の惨劇があったことを確認。同事件の遺族らは「語り継いでいることに感謝したい」と話した。
紙芝居は、事件当時2歳だった尖閣列島戦時遭難者遺族会の慶田城用武会長(72)をモデルにつくられたもの。最後の疎開船となった2隻が1945年7月3日、米軍機の機銃掃射を受け、1隻が炎上沈没、もう1隻が魚釣島に漂着し、石垣島に帰島するまでの遭難者の過酷な体験を描いている。
救助を求め、手作りのサバニで石垣島に向かった決死隊の一員となった金城珍吉さん(故人)の長男・珍良さん(69)=新川=は紙芝居を見た後、「おやじからサバニで石垣島までこいだという話を聞いていたが、たくさんの人が苦労したんだということを感じた。紙芝居にして語り継いでいくことにありがたいと思っている」と感謝。
慶田城会長も「遺族会として継承していくことが重要だと思っている。みんなに伝えていることに感謝したい。遺族会としては二度と起こしてはならないという気持ち」と話した。
玉城会長は「マラリアとは違う悲劇があったことを多くの人に知ってもらいたい」と話しており、今後も学校などで公演活動を継続する考えだ。
【尖閣列島戦時遭難事件】1945年6月30日に石垣港を出港した疎開船2隻が尖閣諸島近海を航行していた7月3日午後2時ごろ、米軍機に発見されて機銃掃射を浴び、1隻が炎上沈没、1隻は航行できなくなったが、修理して魚釣島に漂着。2隻には約180人が乗っていたが、銃撃されたり、溺れたりして犠牲になったほか、上陸後に餓死者も出た。約半数が死亡したという。遭難者は8月19日、救助の船3隻で石垣島に戻ったが、別の島に渡り鳥の卵をとりに行った3人が取り残され、うち1人が亡くなり、2人は台湾漁船に救助された。