【那覇】長崎純心大学の石井望准教授(49)が15日午後、県政記者クラブで会見し、琉球王族が1819年、尖閣諸島に淡水調査で上陸したのが日本人最古だとする研究成果を発表した。昨年末に論文で発表していた。
石井准教授は、那覇市歴史博物館所蔵の具志川家「向姓家譜」・「十二世尚鴻基」などの史料を調査。先行研究した沖縄大学地域研究所の國吉まこも特別研究員が、史料の中にある「魚根久場島」は尖閣の琉球名「ユクンクバジマ」と特定したことに着目し、前後の文章を精査した。
史料には、公務で薩摩上りに往く琉球王族尚鴻基の船が、暴風雨で南西方向に流され、「魚根久場島」に到達。3日間、飲み水を求めたが得られず、さらに暴風雨で漂流し、3日後に与那国島に到達したと書かれているという。
石井准教授は、「魚根久場島」について「魚釣島」か「久場島」を指すと指摘、与那国島に近い無人の孤島でクバが繁殖するのは尖閣以外にないことなどを根拠に挙げた。
石井准教授は「水を探すのに海上からは見えない。99%上陸したことは間違いない。王族の公務中であることから最古の上陸調査記録といえる。尖閣は琉球人による命名である可能性が極めて高い」と述べた。
これまでの日本最古の上陸は、尖閣諸島開拓者の古賀辰四郎氏の派遣員による1885年とされていたが、それよりも66年前に琉球王族が上陸していたことになる。