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教科化を機に深化させよう 

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■「道徳の時間」から「道徳科」へ

 安倍内閣は、経済再生と並んで教育再生を強くうたっている。そのため文科大臣は中央教育審議会に種々諮問。大学入試改革、道徳の教科化、英語教育の早期化などがそうである。答申を受けた道徳の教科化は、平成30年度の実施を目指す。 現在、小中学校における道徳教育は主として、時間割表に「道徳の時間」を1時間設定し授業を行っている。ここで、思いやり、勇気、正義、公正、公共心など小学校22、中学校24の徳目を扱う。ただ道徳教育は学校生活全体を通して行う|とされるが、それらの徳目が十分に育っているとはとても言い難い。多発するいじめ問題、青少年による振り込め詐欺、また、女子高生による繁華街でのいわゆるキャッチサービスなどをみればよく分かることである。

■現状を直視したとき

 このような現状を見たとき、文科省としては手をこまねいているわけにはいくまい。ここで大切なことは、子どもの未来像をどう描くかだ。道徳教育は人間としての生き方や在り方、つまり「人の道」を教え学ぶことを目的としている。だが、子どもを画一的に鋳型にはめ込むような人間形成ではいけない。価値観の押し付けは排除せねばならない。もし、そういうことになれば国は貧することになる。

 また、教科化となれば評価が伴う。現在、5段階などの数値ではなく記述式を考えているようだ。内面に踏み込むだけに、どう客観的な評価が保てるか。子どもを「規格化」する、「いい子度合い」を作成することに陥ることが懸念される。

■このままでよいはずはない

 子どもは、さまざまな情報があふれる中に在る。教員には、その多様な価値観を理解することと、多角的思考が求められる。そんな中、「道徳科」で何を教えればいいか。

 学習指導要領が求める「自ら考える力を育てる」を基調に、子どもたちを社会的にどう成長させるかであろう。社会にルールやマナーがなぜ存在するのか、その意義はどこにあるのか|を考え、体験させる中で社会的変容を期すということだ。

 しかし、道徳教育が深化しないのはなぜか。少ない授業時数の中で指導する徳目が多く総花的である。教科指導のように情熱的に力を注がない。知識偏重のため副次的な取り扱いである|このようなことが挙げられよう。

 人間の道徳性は「集団で暮らす社会的な動物に由来する」という学説がある。単なる習慣や文化ではなく、もっと根源的な情動に根ざす普遍的な社会規範だという。そこで道徳科の指導内容は「社会規範の涵養(かんよう)」に集約徳化してはどうだろうか。

 社会生活の中で「道徳意識が低いことは、即個人の内面的道徳感も低いことにつながっていく。そしてこのような不道徳な傾向は、表現形式を変え、教室という場にも波及していく」(日曜随筆・池城安祥氏)。学力向上の面からも猶予はないはずだ。


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