■石垣島の古代人の顔復元へ
新石垣空港建設の2010年2月、国内最古の約2万年前の人骨が発掘され、「世紀の大発見」として全国から注目を浴びた白保竿根田原洞穴が、再び市民の高い関心を集めた。それは文化庁予算で同洞穴の遺構確認調査を進めている県立埋蔵文化センターが先月30日、新空港開港後初の一般公開を行い、翌12月1日は講演会を開き、石垣島には約2万8千年前から人が住み、同洞穴は約1万5千年も人が使っていた可能性を明らかにしたからだ。
同洞穴からは現在も頭骨の骨片や歯などが次々出土。そのうち1万6千年—1万8千年前の地層から発掘された頭蓋骨については保存状態が良好なことから、当時石垣島に住んでいた古代人の顔を復元する作業が進められているという。これが復元されると県内では港川人に次ぐ2例目になる。
そこであらためて提案したいのが同洞穴を遺跡公園として整備し、子どもたちの学習の場や観光資源として活用できないかということだ。那覇市は旧石器時代最古級の遺跡として知られる「山下町第一洞穴遺跡」を本年度から2カ年の事業で遺跡公園として整備している。竿根田原洞穴も期待したい。
■2万8千年前に渡来
2万年前の人骨は07—08年にかけて発見された9点の人骨を直接分析した結果分かった。それまで最古とされたのは3万2千年前の那覇市の山下町洞人、1万8千年前の八重瀬町の港川人。しかしそれは一緒に発掘された炭化物から推定したもの。骨片を分析した結果では約1万4千年前の静岡県浜松市の浜北人が最古だった。
この発見は「サンゴやコウモリの次は人骨? 新石垣空港建設に再び暗雲」と心配させたが、その後さらに国内最古を更新する約2万6千年前の人骨も発見されたものの、幸い同洞穴が空港本体から約150㍍も離れた場所だったため、予定通り工事は進められた。
来年度までの継続で現在、遺構確認調査が行われているが、これまでに800点以上の人骨などが発掘され、石垣島には約2万8千年ごろに東南アジアから人が渡来し、同洞穴に約1万5千年も旧石器人が住んでいた可能性があることは、この土地が当時よほど魅力的だったということだろう。
■日本人のルーツたどる
しかも本土では石器などの生活物は出てくるが、人骨の出土はなく日本人のルーツ解明に大変貴重だとされる。
それにしても不思議なのは、もし場所が三転4転もしないで新空港がカラ岳陸上案で建設されなければ、八重山郡民を2万8千年前の古代ロマンに誘うこの世紀の発見はなかったかもしれない。そこであらためて思うのは、それは新空港建設で長年苦労してきた八重山郡民への古代人からの最大のプレゼントなのだろうということだ。
それだけに同洞穴を「遺跡公園」として整備し、日本人のルーツをたどる八重山の大きな文化遺産として観光や教育に活用することを望みたい。
特に2年後の一般公開をめどに顔が復元される1万6千—1万8千年前に石垣島に住んでいたとされる旧石器人は、同公園の象徴となるだろう。