石垣市議会は1970年4月、八重山で暮らす台湾出身者に永住権を付与するよう求める決議を行った。この決議は、沖縄の本土復帰に対する台湾出身者の不安を代弁しており、復帰が与えた影響の多面性を端的に示しているという点で歴史的な意義を持っている▼その後、9月29日の日台断交の直前に、台湾の中華民国は方針を転換し、台湾出身者の日本国籍取得の可能性が大きく開かれていく(15日付本紙)。八重山の住民のなかには、5月15日とともに9月29日に人生の重要な節目を迎えていた人がいたのだ▼来月には76年目の「慰霊の日」がやってくる。6月23日は沖縄戦が終結した日として定着しているが、この日付を中心に幅をもって当時の状況を眺めてみよう▼8月15日に本土で戦争を終えた八重山出身者がいる。仕事や教育の機会を求めて台湾に渡った人や、アジア太平洋戦争末期の疎開のために台湾で戦争を体験した人たちも、この日が終戦の日である▼1944年に終戦を迎えた人たちもいる。沖縄出身者が数多く暮らしたテニアンはそのひとつで、その夏の激戦を経験した八重山出身者もいる▼復帰も、終戦も、たったひとつではない。複数のポイントを設定することによって、同じ八重山に住む人たちの多様な人生を包み込むことができる。(松田良孝)
↧