■沖縄に冷淡な日米両国
「寄り添う」は、今や使い古された言葉だ。本来は、そばによること、もたれかかること。転じて、ともに支えあい、苦難を乗り越えることなどを意味するが、残念ながら政治的な手あかのついた陳腐なものとなった。
安倍政権は、沖縄の基地負担軽減に関して「沖縄県民の心に寄り添う」という。民意を無視して進める辺野古新基地建設がなぜ県民の心に寄り添うことなのか、理解に苦しむ。
一義的には、普天間飛行場閉鎖をもって「沖縄の基地負担軽減」、従って「寄り添う」と言いたいのだろう。県民からすれば、移転先が県外、国外でなければ負担軽減にならず、対米追従で県内押しつけにこだわるから「寄り添う」ことにならない。
政権の視線の先には米国と本土国民しかなく、沖縄をみていない。「政府は懸命に努めているが、沖縄県民だけが理解してくれない」とでも言いたいのだろう。
伊勢志摩サミットの前日、女性遺体遺棄事件で急きょ開かれた日米首脳会談では、「実効性ある再発防止策」と「基地負担の軽減」が繰り返された。もはや神話である。71年間続く凶悪犯罪への県民の怒りは、何も顧みられない。
また、地位協定の改定を求めるどころか、辺野古新基地建設が「唯一の解決策」と大統領に伝えたという。沖縄に冷淡な日米両政府のありようを際立たせた。
■被爆者に寄り添う大統領
サミットを終えたオバマ米大統領は、原爆投下を命令した大統領職として初めて広島を訪問した。原爆資料館で被爆の実相にふれ、平和記念公園で原爆慰霊碑に献花、戦没者を追悼し、そして被爆者に歩み寄った。
多くの人々が見守るなか、被爆者に語りかけ、抱擁し合った。謝罪の言葉はないものの、「寄り添う」姿をみせた。米大統領は名優である。たとえ演出上の戦略であったとしても、「核無き世界」の実現に向けたゆるぎない誓い、決意を世界中に強烈に印象付けた。
レガシー(政治的遺産)づくりの一環と言われるが、広島訪問の意義は大きく評価される。報道も「戦後の新たな節目」「歴史の新たな日」などとおおむね肯定的に伝え、謝罪の有無を別として日米双方ともに好意的に受け止めている。
大統領は、被爆者に寄り添うことで、広島や長崎両県民のみならず双方の国民にあった、深い心のわだかまりをなくす努力に成功したといえるだろう。
■米軍首脳が「寄り添う」と
一方で在沖米軍トップの四軍調整官が28日、記者会見を行い再発防止に取り組むことや綱紀粛正策を発表した。理解できない発言が目立った。
「沖縄県民に寄り添いたい」と「われわれも傷ついていることを理解してほしい」、「県民とわれわれの間にくさびを打ち込まないでほしい」等々。
地位協定に守られる治外法権の「特殊な地位」にありながら、軍を擬人化し一市民的な表現で県民の理解と信頼、同情を求められても迷惑でしかない。「誰の口が言う」のか。
普天間閉鎖・辺野古新基地反対運動は、県議会抗議決議で「全海兵隊撤退」まで踏み鋳込む広がりをみせてきた。このまま日米両政府の不誠実が続けば、嘉手納を含む全基地撤去を求める闘争につながる。
米軍首脳発言は、それを恐れている。