■未来予想図を描け
本紙2月27日の気象台リレーエッセー「18歳の君たちへ」は去る1日に卒業した高校生にエールを送っている。松田博之さん(石垣島地方気象台次長)によるもので随分と温かい励ましになったことだろう。5年後、10年後の未来予想図を思い描き一つ一つ夢を実現させながら社会に貢献できる立派な人間になってほしい|と、気象予報と重ねながらエッセーは願う。
18歳は「離陸」を余儀なくされる年齢である。現時点での未来予想図を持っていなければうまく滑走できず離陸に困難が伴うことだろう。ましてや、5年後、10年後の未来予想図など描けまい。適度な滑走=助走距離が必要だ。
離陸の文字を上下入れ替えてみよう。「陸離」となる。陸離は、「まばゆくきらめく」の意になる。離陸には、まばゆくきらめくの思いが裏打ちされているとみる。滑走距離という準備期間があってはじめて、まばゆくきらめくような離陸が可能になる。
17歳の君たちは離陸までに全員が18歳になる。それを祝するかのように選挙権もことしから与えられる。社会から期待されているのである。努力しないわけにはいくまい。
■不安定期であるが高い可能性
団塊の世代の者には17歳のイメージとして「恐るべき」の冠詞が付く。つまり高い能力と危ういの二面である。
尾崎行雄は、浪商高校の2年時、夏の甲子園で優勝するやすぐさま退学し、プロ野球東映フライヤーズ(現日ハム)に入団。いなや、すさまじい活躍をする。まだ17歳であった。「怪童尾崎」と恐れられた。
右翼の17歳の少年山口二矢は、日比谷公会堂で演説中の日本社会党党首浅沼稻次郎を公衆の面前で刺殺した。
これらのことは17歳が高い可能性を持つ一方、狭隘な視野と思考で己を育てている|ということが分かる。つまり、発達途上にあるだけに不安定期であると言っていいだろう。そこでだ|。
■未来の自分に宛てての手紙を
「自分とは何か」「自分はどこへ向かうべきか」|と絶えず自らに問い続け、近未来の自分にあてて思念の手紙を書いてほしい。その手紙は何度書いて何度破ってもいい。ともかく書くことが大切だ。問い続け、書き続ける中で自分が見えてくるだろう。そのとき地平が開き進路が拓けてくる。それは日々の学業にしっかり向き合う中で表れてくるものである。この1年をそういう年にしてほしい。
社会貢献は己の「職業」に誠実に向き合いどう懸命になるかで形となる。この「職業」を手にするための学びに真摯(しんし)になる|こんな17歳の姿をみたい。
「時」はのんびりした者には大河の流れのようであるが、緊張感のある者には山峡の川のように急な流れである。君は今、どの川淵に立っているだろうか。学びの「時」は皆に等しく長大である。だが、社会的にはそう長いものではない。学制上は「22歳の別れ」である。「別るる後にもやよ励めよ」につなげてほしい。