【西表】1800年代の、船浮村の絶世の美女と言われたカマドマと船浮役人との恋物語をうたった「殿様節」の歌碑「かまどま之碑」がこのほど改修され、「殿様節之歌碑」に生まれ変わった。52年前に造るられたかまどま之碑には、船浮の住民がカマドマのものとする真ちゅう製のかんざしが収められていたが、老朽化でひび割れを起こすなど保管が困難になったことから、改修期成会(池田米蔵会長)が新しい歌碑の建立を計画。古い碑を撤去してかんざしを取り出した後、新しい歌碑に収めた。地域住民は「長年の念願がかなった」と喜んでいる。
かんざしは、池田会長(67)の父、故・稔さんが50数年前、船浮で行われた護岸工事の現場で発見したもの。池田会長によると、詳しい人に確認してもらったところ、各島の司に授けられたもので鑑定書もあったという。稔さんらは「カマドマのものではないか」として1966年9月、カマドマが役人を待ち続けたと伝えられるクバデーサー(モモタマナ)の木陰に碑を造った。
当時、中学2年生だった池田会長は「僕はかんざしを売って家を造ろうと言ったが、区長だったおやじはカマドマの碑を建立すると言った。かんざしを収めるときに立ち会ったので場所は分かっていた」と振り返る。
今回、取り出したかんざしを計測したところ長さ約21㌢、重さ50・9㌘。形状が同じものを保管する花城正美さん(69)=小浜=によると、司を務めていた祖母が所有していた。琉球王国時代の最高女神官である聞得大君(きこえおおぎみ、きこえのおおきみ)から権威の証しとして各島の司に授けられたと伝えられているという。「船浮のかんざしがカマドマのものかどうかは分からないが、ロマンがある」と話す。
期成会は、㈲東洋工業(後上里洋一社長)の協力を得て、中国から取り寄せた石を使い、歌詞と由来を刻んだ歌碑を整備し、5月25日に終えた。
米蔵さんの妻で船浮公民館長の池田トシ子さん(67)は「こんなに大きなものとは想像していなかった。すごいものができた。これまで歌碑を造らなければと思っていたが、やっと念願がかなった。東洋工業には感謝している。歌碑には大事なかんざしが入っている。船浮を知ってもらう碑にし、地域の活性化につなげたい」と話している。