沖縄が米統治下から日本に復帰して46年目を迎えた15日午後、石垣市内で「5・15平和行進」と「平和とくらしを守る八重山地区集会」(同実行委員会主催)が開かれ、行進に約100人、集会に約200人が参加した。頭に「基地のない沖縄を」と書かれた赤いハチマキを巻いた参加者が白保から新栄公園までの約11㌔を歩き、「八重山にミサイル基地はいらない」「基地のない平和な沖縄をつくるぞ」などと訴えた。
平和行進は午後2時に白保公民館を出発。参加者は炎天下、「石垣にミサイル基地はいらない」「米軍基地を撤去せよ」「日米地位協定を改正せよ」などとシュプレヒコールを上げながら、新栄公園までの約11㌔を歩いた。
午後6時ごろから同公園で開かれた集会では、波照間忠実行委員長(八重山地区労働組合協議会議長)が「私たちが5・15を忘れずに行進することがこれからの若者や子どもたちのためになる。基地はいらない。戦争もしてはいけない。子どもたちのために平和を守ることを心から訴えていきたい」とあいさつ。
本島での平和行進で実行委員長を務めた沖縄平和運動センターの山城博治議長は「石垣島にも物騒なミサイル基地が造られようとし、対中国包囲網の最前線に立たされようとしている。この島に戦争の道具はいらない。この島を戦場にすることは許さない。国境の島は平和な島であるべきだ」と安倍政権を批判し、自身が作詞した「沖縄 いまこそ立ち上がろう」を歌った。同センター宮古島の福里猛副議長、次呂久成崇県議もあいさつした。
添石雅邦副実行委員長が「日米両政府によって強行される米軍基地の強化、拡大に反対し、不平等な日米地位協定の抜本的改正を強く要求するとともに、政府の戦争政策、憲法改悪に抗し、アジア近隣諸国や世界平和のために闘い抜く」と力強く大会宣言を提案、採択された。最後は参加者全員の「がんばろう三唱」で締めくくった。
「ミサイル基地絶対反対」というのぼりを掲げてことし初めて参加した川原公民館前館長の具志堅正さん(56)は「石垣市は平和とは逆の方向へ進んでいる気がする。子どもや孫たちのために基地だけは造らせない。ずっとこの静かな石垣島を残していきたい」と語った。