当時の八重山の人口の約3分の1にあたる9313人が亡くなった1771(明和8)年の明和大津波から247年目を迎えた24日、石垣市宮良にある明和大津波遭難者慰霊之塔で、市主催の慰霊祭が行われた。地域住民や防災関係者約200人が出席し、犠牲者へ哀悼の意をささげ、防災意識を新たにした。
慰霊祭では佐伯美羽さん(真喜良小6年)と、髙橋満月(みつき)さん(白保中3年)が作文を朗読。
佐伯さんは「災害に備えるため家族と話し合い、毎年防災訓練に参加し、水や缶詰をそろえても、まだ不安。大津波で失った命を無駄にしないためにも、不安だからこそ、これからも備え、命を大切にしたい」、髙橋さんは「自然災害は避けることはできないが、最小限に抑えることはできる。震災に遭われた方々の気持ちを無駄にすることなく、危機管理意識を高めていきたい」とそれぞれの決意を読み上げた。
中山義隆市長は「私たちが今すべきことは、過去の教訓から学び、一人一人が自らの命を守るため、防災・減災の意識を持ち、日頃の備えを整えておくこと。いま一度災害時の備えの確認を願いたい」と式辞。
八重山ライオンズクラブが植えたテッポウユリが花開く会場で、石垣市老人詩吟クラブ(宮良栄代表)のメンバー10人が、故・牧野清氏の詩「慰霊の塔に寄す」を吟じ、千羽鶴を奉納した。
明和大津波は1771年4月24日午前8時ごろ、石垣島の南南東40㌔で起こったマグニチュード7・4の地震によって引き起こされた津波。八重山、宮古両諸島で多くの死者を出し、その後も感染症がまん延するなど、未曽有の被害をもたらした。