太平洋戦争中、日本海軍の爆撃を受けた米軍機が石垣島に不時着し、捕虜となった米軍飛行士3人が殺害された「石垣島事件」の慰霊祭が15日、唐人墓東側にある米軍飛行士慰霊碑前で行われた。慰霊碑建立期成会の識名信用会長(90)ら十数人が参列、冥福を祈り、平和への誓いを新たにした。慰霊祭は2001年8月15日に慰霊碑が建立されて以降、毎年行われている。
慰霊祭ではアメリカ合衆国の国歌を流した後、祭壇に献花、追悼した。
識名安信期成会長代行(63)は「3人の兵士は本来なら捕虜として身分を保障されなければならなかったが、その日のうちに処刑された。薄れゆく意識の中で何を思い、息を引き取ったのか。両親や家族もいたはずである。戦争の悲惨さ、平和の尊さを石垣島から訴えていきたい。会長の思いを受け継ぎ、次の世代に引き継いでいきたい」とあいさつした。
識名代行は取材に「3兵士の関係者がアメリカにおり、連絡がつき次第、招待して慰霊祭を行いたい。この場所には唐人墓や平和祈願之碑もあり、平和を発信するにふさわしい」と話した。
【石垣島事件】1945年4月15日午前、石垣島に襲来した米軍機1機が日本海軍の爆撃を受けて不時着。飛行士のティポ中尉、タグル兵曹、ロイド兵曹はパラシュートで大浜沖合に落下、日本軍の捕虜となったが、同日夜に処刑された。ティポ中尉とタグル兵曹は軍刀で斬首、ロイド兵曹は銃剣で刺殺された。