先日、某所との忘年会で年配者に泡盛をつぎ、水を入れようとすると、「混ぜないで」と言われた。聞くと、混ざり具合が均一になるからだという。えっ、そのほうがいいのでは。違うという。泡盛が濃いところ、薄いところがまばらにあるほうがうまいというのだ▼これを聞き、ゴーヤチャンプルもそうだと納得がいった。ゴーヤを切るとき、何を使うか。包丁か、それともスライサーか。スライサーだと、薄く早く切ることができる。当たり前だが、厚さは均一になる。これを炒めると、火の通り具合も均一。でも、これだとゴーヤに変化がなく、単調な味が続くからイヤだ▼スライサーに比べて包丁はどうか。プロだと厚さを均一にそろえることができるだろうが、素人だとそうはいかない。バラバラ。薄いのもあれば、厚いのもある▼でも、これがいい。炒めると、薄いのはほのかに甘く、厚いのは苦く感じる。味に凹凸ができ、絶妙な調和を醸し出す。違いがあるからこそ味わいが出る。深みが増す。それぞれの長所を感じることができるのだ▼泡盛やゴーヤチャンプルに限ったことではなく、これは人間社会にも言えるのではないか。それぞれに個性、違いがあるからこそ、全体としてうまく機能する。要はどう生かし、どう調和を図るかだ。(比嘉盛友)
↧