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道徳教育改革なるか

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■むなしい現実

 振り込め詐欺がとどまることを知らない。子や孫になりすまし肉親の情をもてあそぶ。巧妙さを増し精緻を極める。これが小中学校で道徳教育を受けてきた若者たちのなせることか。あまりに悪賢く非人間的な行為だ。この現実からしてわが国の道徳教育は、もはや破綻しているのではないか。

 「いじめ」に起因する自殺は後を絶たない。頭を垂れて謝罪する姿に絶望的にさえなる。

 暴力事件を起こした学校は「道徳の授業などを通して考えさせたい」と話す。むなしさを感じずにはおられない。学校は信頼を失っている。では、どう失地回復を図ればよいか。

 学校教育は「知育・徳育・体育」を修めるところ。だが、徳育がうまくいっていない。そこで政府の教育再生実行会議や文部科学省は道徳教育の改革に取り組み、今国会での法案を目指している。

 

■「道徳」から「心育」へ

 確かに、道徳教育を十分に施し教職生活を終えたと自信をもって言える者はそう多くはいまい。あつものに懲りてなますを吹くの例えか、戦前の「修身」が影を落としているという意見もある。だが、果たしてそうか。学校における「道徳」のシステムや指導内容、教員人材を含め停滞する「負の学校文化」のようなものが連綿としてあるのではないか。

 教員免許状取得に要する教職単位はわずかに2単位。現職研修が充実してきたとはいえ、到底不十分だろう。指導徳目は小学校22、中学校24と多岐にわたる。これを年間35時間で指導する。総花的で指導が分散し密度の低い授業になっていないか。教員の方も教科指導の方に力点がいき、道徳の授業がおろそかになっていまいか。必死さがないのではないか。こういった一連の不十分さが集積して今日の停滞を招いているように映る。

 与えられた授業時数の中で、道徳という「人の道」全般のことを教えることには無理がある。「心」の教育、つまり「思いやりの心」を育み身につけさせることに重点化したカリキュラムを編成すべきだ。知育や体育に対して「心育」ということになろう。

 

■「道徳」の教科の動き

 改革では道徳を「特別な教科」にするという。道徳教科教員制はとらないようだ。だとすれば、今までどおり学級担任の指導になる。これまでと変化はあるのか。であるならば、道徳教科免許状を設定し、その保持を教員採用時の必須要件にしたらどうか。

 かつてわが国の家庭には宗教や儒教の教えがあり、その環境の中で子どもたちは自然に人倫が育まれた。また、師範学校というプロの教師を養成する機関があり、そこから人として生きる道を教えられた。

 「倍返し」という語が流布している。本来は「恩」を倍にして返す意だが、「憎」に置き換えている。このような思いやりのない社会が拡大されたらたまらない。少年期の健全有益な行動や美しい行いは、生涯保存され良き教育になったということを私たち大人はその経験からよく知っている。「心の教育」を学校教育の先頭に持っていかねばならない。猶予はない。急がねばならない。


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