Quantcast
Channel: 八重山毎日新聞社
Viewing all articles
Browse latest Browse all 16824

新城剛絵画展で思う

$
0
0

■25回忌しのび作品展

 新城剛絵画展が2日から5日まで石垣市民会館の中、展示ホールで開かれている。新城の作品は強烈な赤や黒、白色を用いた「アカマタ」などで知られる。琉大美術工芸科を卒業。1970年沖展初出品を手始めに、八重山美術展、沖展、県展、心象展などに出品、スペイン、オーストラリア、オランダなどの美術展でも入選や優秀賞を受賞するなど、海外でも高く評価され将来が嘱望されていた。

 しかし、91年海難事故で急逝した。44歳であった。あれから25年、知人たちが実行委員会を結成し25回忌を機に多くの人々に鑑賞してもらい、作品を再評価したいとの思いから展示会にこぎつけた。初日から多くの参観者でにぎわっている。八重山での、このような大がかりな展示会は2010年の石垣博孝絵画展以来であり、沈滞気味の八重山美術界に奮起を促すことにもなろう。

■劣悪な絵画作品の保存環境

 八重山は、高温多湿、強い光線、シロアリなどの虫害の影響もあり絵画(美術)をとりまく環境は劣悪だ。それでも、琉球王府時代の権現堂の壁画、旗頭本、蔵元絵師画稿、宮良殿内の板戸に描かれた絵画、久場島清輝の模写絵などが残されている。

 宮良殿内の玄関正面の壁に描かれた鷹の図は強い光線などの影響で消え、板戸の絵も保存状態が悪く将来が危惧される。

 近代絵画の先駆者森田永吉は1931年帝展に入選、同舟舎洋画展、光風会洋画展に入選し、37年には、八重山出身者として初の個展を開いている。

 戦後、八重山美術界をリードした宮良信成は第4回沖展(アンデパンダン展)で高く評価され、全琉教職員絵画コンクールで金賞を受賞している。

 また、仲本賢吉や上原一雄など八重山美術会を結成した人たちや、下地寛敏、西表信らの作品はほとんど残っていない。西表の作品は近年、八重山博物館に寄贈され、初めて鑑賞することができた。森田の作品も県立美術館が所蔵している以外に1点ほどが確認されているだけである。

 作品がほとんど残されていないのは、戦争や自然環境などが挙げられるが「絵を描いて生活できるか、絵を描くより田を耕せ」という絵画に対する王府時代からの無理解と無関心も、最大の要因であろう。

 絵画は私たちの精神文化を豊かにし、思索や思想にも影響を与える。絵画は生活を支える原動力である。

■美術館も画廊もなく展示会もなし

 先人の残した作品も剥離や傷みが多く個人の高温多湿の部屋での保管は厳しい状態だ。放置され、朽ち果てていくのは八重山文化の損失である。八重山博物館、文化財課の収蔵庫も満杯状態ではあるが、早急に対策を立てるべきであろう。

 八重山は絵画をじっくり鑑賞する美術館もなければ、画廊もない。運送費用などがかかり、沖展、県展、著名な画家の展示会もなかなか実施できない。市民や児童生徒の絵画に接する機会もないのが現状だ。

 もうすぐ夏休みである。県立博物館や美術館での夏休みの子どもたちを対象としたワークショップは大変な人気である。子どもたちの感性を豊かにするためには、早くから芸術に親しむことであり本物の鑑賞が必要だ。そのためにも、新八重山博物館建設構想を一日も早く実現すべきだ。


Viewing all articles
Browse latest Browse all 16824

Trending Articles



<script src="https://jsc.adskeeper.com/r/s/rssing.com.1596347.js" async> </script>