1895年の日清戦勝終結後の1897年、本土と台湾間の海底電線の中継地として屋良部半島の海岸沿いに整備された元海底電線陸揚げ施設、通称「電信屋」の保存の状態が悪化していることから、石垣市教育委員会が保存や修復の手法を検討することになった。
石垣市議会で11日、砥板芳行氏が一般質問で「経年劣化で建物は朽ち果てる寸前」として対応を求め、成底啓昌教育部長が「延命措置が必要と感じている。外観を変えることなく、修復するという難しい問題もあるため、どのような手法が効果的か専門家の指導も仰ぎながら研究していきたい」と答弁した。
電信屋は1905年の日露戦争時、宮古島の漁師5人「久松五勇士」がサバニをこいでロシアのバルチック艦隊発見の一報を知らせたところ。太平洋戦争時は、米軍の攻撃の対象となり、銃撃痕が残っている。
砥板氏は「今年は戦後70年、平和学習の場、近代日本の歴史を学ぶ場として修繕が必要だ」と要望、成底部長は「平和教育にも生かせる場所。活用されるべきだと考える」と述べた。
電信屋に通じる市道の管理についても石垣雅好建設部長は「昨年夏に除草作業をしているが、その後は十分な管理が行われておらず、早急に対応したい」とした。
電信屋は1986年、市の文化財に指定されている。