■総事業費3億円余で建設
与那国町では自衛隊基地建設用地造成が実施される中、22日には自衛隊基地建設の民意を問う住民投票が行われる。与那国町は選挙となると島を真っ二つに割る激しい政争が繰り広げられる。熱く燃える島だけに島の将来とはいえ、中学生まで参加しての選挙に禍根を残さないかと不安や懸念する声も多い。
自衛隊問題だけがクローズアップされているが、2015年度中に「与那国歴史文化
交流資料館」(仮称)が開館されるという。 同資料館は与那国島ならではの食体験、郷土芸能の発信、周辺地域との交流、歴史などの発信を通して島の文化を内外に伝えようとするものである。昨年末に、実施計画は終了しており、建物は鉄筋コンクリートを取り入れた木造平屋で、延べ面積は563平方メートル。総事業費は3億1000万円という。
■独特の祭祀と食文化
与那国島は台湾、中国、フィリピンなどと距離的にも近く、日本古代の縄文、弥生文化、沖縄の貝塚文化も届かず、南中国やフィリピンとの共通文化を持つといわれる。
先月、台湾西部と澎湖島の間の海底から45万から19万年前と推定される原人の下顎の化石が発見されたと発表された。「澎湖人」と名付けられアジアで第4の原人と位置付けられるという。
発見された場所の海底は、現代より寒冷で海面が低く台湾と中国が地続きだった時期だと言われる。更新世中期(70万年〜30万年)のころである。そのころ琉球は大陸とつながっており、南部琉球にはサキシマハブも渡来している。
白保竿根田原洞窟から発見された人骨は約2万年前で「澎湖人」の時代とはかけ離れているが、「澎湖人」の登場は台湾と石垣島の中間にある与那国の海底遺跡を含めて柳田國男の「海上の道」以上に壮大なロマンを覚える。そのような意味も含めて与那国をアジア研究の拠点とする視座も必要ではないか。
■町民一丸でアジアの交流拠点に
黒潮が岸辺を洗う与那国は日本最西端の位置だけに甘んじていては将来の展望を描くことはできないだろう。国境を突破する大きな構想があってもいいはずだ。その構想を実現させるためにも「SOLAS条約」(海上人命安全条約)の適用を国に働きかけ外国船舶の出入港を実現させることだ。これにより外国との自由な往来が可能となり、歴史文化交流館は内外に与那国の歴史文化を発信と交流が促進することができるであろう。
祭祀のクブラマチリ(外敵撃退、島の平安)、ウラマチリ(牛馬の繁殖祈願)、ンディマチリ(嫁取り、婿取り、子孫繁盛祈願)、ンダンマチリ(航海安全祈願)など25日間行われ、その期間は、祭の参加者は一切獣肉を食してはいけないという。祭の供え物であるチンムイは餅やかまぼこなどを50㌢ほど積み上げ、八重山では他にみられない料理である。ドゥンタの巻踊りも台湾東部の先住民の舞踊と通じるものがある。神を敬う精神を大切にし歴史や文化を紹介してもらいたい。
また与那国名物の香草クシティーはコリアンダーのことで、今やコリアンダーは独特の風味から全国的に人気だ。与那国産をもっと売り出すべきではないか。現在、与那国に関する資料収集を行っているが、それと同時に台湾をはじめ東南アジアの資料も収集してほしいし、資料館の展示や構想には内外の専門家たちの意見も取り入れ、町一丸となって豊かな交流館にしてほしい。