旧石垣空港跡地内の県道石垣空港線(新空港アクセス道路)の工事現場で11日午前11時半ごろ、不発弾とみられる250㌔爆弾1個が見つかった。石垣市防災危機管理室によると、長さは約1㍍で直径は30〜35㌢。陸上自衛隊第15旅団第101不発弾処理隊が信管が付いていることを確認、市は処理されるまでの間の対策を講じた。近くには石垣市消防本部があることから、処理する際は業務への影響をどう回避するかが課題となる。
旧空港は1943年6月、旧日本軍の海軍飛行場として建設されたもの。戦時中に空襲を受けていることから、今後も跡地開発に伴って不発弾が発見される可能性がある。24時間対応の消防本部の業務に支障をきたさないような処理方法が求められそうだ。
市消防本部の大工嘉広消防長は「不発弾処理の際、救急出動を含む消防業務に影響が懸念される。早急に対策を検討して何らかの措置を講じていきたい」と話した。市防災危機管理室の慶田城用允室長も「今後、関係機関と協議し、消防業務に支障がないような方法を検討していきたい」との考えを示した。
防災危機管理室などによると、工事関係者が磁気探査で不発弾を発見、警察など関係機関に通報した。第15旅団が現地に処理隊の担当者ら3人を派遣し、状況を確認した。市が不発弾の周辺に土のうを置き、トンブロックと鉄板で囲うなど防犯上の対策をとった。
250㌔爆弾は2006年11月、白保のカラ岳砂利採集場でも処理されている。この際は半径700㍍の区域が避難対象となっていたが、危機管理室によると、処理の仕方によっては避難区域を狭めることも可能という。
戦時中石垣島は、那覇が大きな被害を受けた「10・10空襲」の2日後の1944年10月12日、初めて空襲を受けた。石垣市発行の「平和祈念ガイドブックひびけ平和の鐘」によると、沖縄戦末期の45年4〜6月にかけては、延べ1000機を超える米英軍機の空襲があったという。