■失われつつある各地のしまくとぅば
去る18日は「しまくとぅばの日」に当たり、県内各地でさまざまな取り組みがなされている。9月17日には「世界危機言語学会」シンポジウムが開かれ、きょう20日は「しまくとぅば県民大会」と「しまくとぅば語やびら大会」(県文化振興課主催)が沖縄コンベンションセンターで開催される。
そもそも「しまくとぅばの日」は、近年失われつつある沖縄各地のしまくとぅばに危機感を募らせた県民の声を反映して、県議会が2006(平成18)年3月に「しまくとぅばの日に関する条例」で制定した記念日である。
条例制定の目的は、本県文化の基層であるしまくとぅばに対する理解と関心を深めることと、しまくとぅばの普及促進を図ることを目的としており、9「く」10「とぅ」8「ば」の語呂合わせでおなじみとなって親しまれていることはご存じの通りである。
ユネスコは、世界のおよそ5000から7000語の言葉の内、2500語が消滅の危機にさらされている、と警告し、09(平成21)年には、国頭語、沖縄語、宮古語、八重山語および与那国語を消滅の危機にひんする言語に指定している。私たちの「八重山しぃまむに」もいずれは消滅するのではないかと危惧しているのである。
ゆんた、あよう、じらば、節歌などで歌われてきた柔らかく美しい響きの「八重山しぃまむに」が、日々の暮らしから失われてきている現状をみると、他地域に先がけて真剣に歯止めをかける必要があるのではないだろうか。言葉は文化の根幹であり、言葉が失われれば文化が消滅していく、ということをあらためて肝に銘じたい。
■中舌音を消えさせてはならない
各地域での真剣な取り組みによって、失われようとしているしまくとぅばがよみがえりつつあることは喜ばしい。活字にして残しておくことは後世へ引き継ぐ上で重要であり、各地域の公民館、各種団体、行政等の取り組みは評価されるべきである。
一方、「八重山むに」の根幹というべき中舌音が急速に失われている現状から目をそらすべきではない。先達が長い時をかけて築いてきた言葉や音楽、芸能等を真剣に保存継承するには、地域住民はもちろんだが、埋もれた言葉や失われつつあるしぃまむにを復活させ残すためには、行政の真摯(しんし)で息の長い取り組みが不可欠であることは論をまたない。
■言葉は生きている
言葉は生き物であり、私たちの先達が血と汗で築いてきた貴重な文化遺産を死滅に追いやってはなるまい。交通通信手段の急速な進展によって地域の言葉が萎縮し片隅へ追いやられている現状を放置しておくことは許されまい。
琉球語は日本語の中でも特異な位置にあり、地域ごとの特性がはなはだしい。首里の言葉と今帰仁の言葉と宮古の言葉と八重山の言葉は、同じ琉球語に属するが、相互に円滑な会話ができるとはとても思えない。
また、八重山だけをとってみても、島々村々に独特のイントネーションや単語の違いがあり、竹富の言葉と黒島の言葉、波照間の言葉、与那国の言葉でお互いにスムーズな会話は困難である。
この地球上で八重山方言を話せるのは、4万5000人の人々と出身者を加えたとしてもせいぜい10万人足らずで、世界の人口の0.000015%にすぎない。だからこそ貴重であり、この言葉が失われることを私たちは、手をこまねいてみていてはなるまい。
9月18日を「しまくとぅばの日」に定め、さまざまな取り組みを行っていることは評価に値するが、一人一人が自らの先祖が築いてきた文化の根源をなすしまくとぅばを意識的、意欲的に使い、しぃまむにゆ生かしょうら。