【西表】太平洋戦争末期の1945(昭和20)年に波照間島から西表島南風見田に疎開させられマラリアなどで亡くなった犠牲者を追悼する第23回忘勿(わするな)石之碑慰霊祭(同碑保存会主催)が15日、南風見田海岸にある忘勿石之碑で行われ、遺族や関係者、地域住民など約20人が犠牲者の冥福を祈るとともに恒久平和を祈願した。
南風見田には波照間島の住民1590人が疎開させられ、わずか4カ月で学童60人を含む85人がマラリアで亡くなった。
当時、子どもたちを教えていた謝名信升校長が、教室代わりにしていた南風見田海岸の岩に「忘勿石 ハテルマ シキナ」と刻銘したとされている。
慰霊祭では、参列者の献花や黙とうに続いて、平田一雄会長(80)が「謝名先生の思いとマラリアの惨劇を忘れることなく、後世に伝え続けていけるようにしたい」とあいさつした。
参列者の一人で、南風見田で小学4年生のころに祖母を亡くした波照間島名石集落出身の仲底善光さん(79)は「いつも元気で力強かった祖母もマラリアの犠牲となった。強制疎開さえなければ、祖母ももっと長生きできたと思うと悔しい。この悲惨なできごとを風化させてはいけない」と語った。
学校で戦争マラリアの話を聞いて参加を決め、母親と一緒に初めて参加した大原小2年の花城希朗(きお)君(8歳)は「戦争はもう、やってほしくない」と話していた。