旧盆の中日の9日夜に行われた明石エイサー祭り(同公民館主催)を終えた明石集落では、来年、入植60周年を控えており、同エイサー保存会(比嘉辰博会長)では、来月から月1回の会合を設け、エイサーをしながら集落を練り歩く「道ジュネー」の再開に向けて動きだす。細かい振り付けなど踊りの指導をめぐって課題もあり、同保存会書記の宜保勇人さん(32)は「今は、保存会として手を固めるのが先」と保存会の結束を訴える。(研修生・井上雅大)
明石集落は、琉球政府の計画移民で、沖縄本島の読谷村や大宜味村の先遣隊62人が1955年に移民してできた集落。同集落のエイサーは開拓後に読谷村の楚辺のエイサーを受け継ぎ、独自に発展させた歴史がある。
祭りの後に行われた反省会では「明石エイサーのDVDを作って」という要望や「明石出身者以外の人たちの思いや働きも大事にして」といった意見が出され、来年に向けて課題を探り合った。
長年、手踊りの指導をしている眞榮城玄三さん(67)は現在の明石エイサーについて「(多くが)教える人の見よう見まねで踊ってるので、全体として振りが統一されていない」と指摘し、「足を突き出すなどの若い人の踊り方は、はやりの創作エイサーを見た影響では」とも。
眞榮城さんは「(明石集落のエイサーの原型である)楚辺との違いを修正して、明石のエイサーとして永遠に残すことができたら」と話す。
宜保さんは「明石のエイサーは、異なる地域から明石に移民してきた人たちを束ねる一つのツールでもある。中身を保存していくと同時に、周りの人々が保存会や地域にどう関わっていくかも課題だ」と訴えた。