波照間島の子どもたちや住民が巻き込まれた戦争マラリアの惨劇とよみがえる島人を描き、平和と戦争を象徴的に詠んだ児童文学作家・桜井信夫氏(1931―2010年)の長編叙事詩「ハテルマシキナ」の朗読会が19日、長野県の松本市音楽文化ホールで行われた。
叙事詩は、波照間国民学(当時)の識名信升校長が強制疎開先の西表島南風見田から引き揚げる際に海岸の岩場に刻んだ「忘勿石ハテルマシキナ」を題材にした作品。朗読会は、石垣市出身の高橋(旧姓・新庄)喜和さん(74)=長野県安曇野市=が企画した。
高橋さんは、識名氏が戦後校長を務めていた石垣中学校の生徒。卒業後、大阪の自動車整備工場に就職し、定時制高校に通った。心身ともに疲れ果てていたとき、識名校長の突然の来訪を受け、温かい励ましに奮起、高校を卒業できたという。
その後、長野県に住んで20年が過ぎたころ、「ハテルマシキナ」で識名校長の勇気ある行動を知った。識名校長を精神的な支柱と尊敬する高橋さんは、朗読を通して識名校長の平和への願いを語り継いでいこうと決め、準備を進めてきた。
朗読会は、約180席の会場が埋まるほど盛況。高橋さんは妻子や孫ら家族6人で出演、映像や音楽も交えながら休憩を挟んで2時間半にわたり全編を朗読した。
高橋さんは「識名先生が『忘勿石ハテルマシキナ』の10文字を彫られた無念の思い、悲しい思い、平和への思いを伝えることができたのではないかと思う」と振り返る。
忘勿石之碑修復・波照間島戦争マラリア犠牲者戦没者慰霊之碑建立期成会募金委員長の島村賢正さん(71)も趣意書を持参して出席。島村さんも石垣中出身で高橋さんの後輩。1年生のとき識名校長だった。
「朗読会の素晴らしさと観客の多さに涙があふれて感動し感激した。遠く離れた長野県でこのような朗読会が開催できたことを思うと、感慨深く高橋さんと仲間の情熱・努力に頭が下がる」と話す。
「ハテルマシキナ」著者の妻で児童文学作家の中島信子さん(73)=東京都狛江市=も会場に足を運んだ。
「これまでの朗読会とは違い、音楽と映像で視覚にも訴えるような内容。髙橋さんが骨を折ってこの日を迎えたことが鮮明に見えた。どれほど頑張ったかと涙が出た」と感謝、「桜井の物語は沖縄のことを考えるために絶対必要だと思う。同時に、この国のあり方を問うものだと改めて感じた」と話した。