八重山の人口の約3割に当たる9313人が犠牲となった明和大津波から243年目を迎えた24日午後、石垣市宮良タフナー原にある大津波遭難者慰霊の塔で市主催の慰霊祭が行われ、地域住民や防災関係者ら約200人が参列して犠牲者の冥福を祈った。また、この日は「市民防災の日」で、市内の幼小中学校や介護施設などで津波避難訓練も行われた。27日には全島を網らした防災訓練が実施される。
午後3時から行われた慰霊祭で、式辞を述べた中山義隆市長は「明和大津波を風化させることなく、後世に伝え、いつ発生するか分からない災害に迅速に対応できるように安心・安全なまちづくりに全力で取り組む」と決意。今後発生が予想されている南海トラフ巨大地震にも触れ、「津波避難ビルなどを有効に機能させ、常に災害に対する準備や心構えを市民に呼びかけていきたい」と述べた。
慰霊祭では、一般参列者による献花が行われたほか、八島小6年の大道妃夏さんと白保中3年の新里恋さんら児童生徒代表が作文を朗読。このうち「大切な命を守るために」と題して作文を朗読した大道さんは「一人一人が地震津波への関心を高め、命を守る防災への取り組みを一つ一つ堤防のように積み上げていきたい」と誓いを新たにした。また、石垣市老人詩吟クラブが故牧野清さんの「慰霊の塔に寄す」と題した詩吟を奉納した。
古文書によると、明和大津波は1771(明和8)年4月24日午前8時ごろ、石垣島の東南沖約40㌔を震源地とするマグニチュード8クラスの地震で発生。津波による犠牲者は宮古と八重山を合わせ約1万2000人に上ったとされている。