100年以上にわたり同一場所で気象観測を継続している観測所を世界気象機関(WMO)が認定する「百年観測所」に石垣島地方気象台(野崎太台長)が国内で初めて選ばれ、5日午後、同所に認定プレートが設置された。認定は世界各地で116番目。
石垣島地方気象台は1896(明治29)年12月5日に中央気象台付属石垣島測候所として開所。当時は現在地の北西約500㍍に位置していたが、1897年5月1日に現在地へ移転。地域では「テンブンヤー(天文屋)」の愛称で親しまれ、1946年1月15日に米軍政府沖縄府八重山支庁逓信部の付属機関として、八重山気象台に改称した。
WMOは認定の選定基準に、ほぼ同一場所で100年以上前から現在まで観測しているほか、過去の観測データと観測所情報を全て保存しているなどの9項目を満たしていることを踏まえ、2017年5月に開催したWMO執行理事会で認定を承認した。
122年の開所記念日となったこの日、関係者は観測を開始した午後1時5分に岩崎卓爾第2代測候所長の銅像近くに設置された認定プレートを除幕した。
祝辞で気象庁の長谷川直之観測部長は「100年以上にわたって観測ができたのは、先輩方や現職員の努力のたまもの。今後も精度の高い観測を続けてほしい」と述べた。
野崎台長は「認定プレートが岩崎氏の銅像近くに設置されたのは喜び。質の高い気象観測を心がけたい」と喜んだ。
■国内初認定に思いはせるー元八重山気象台職員の正木さん
国内初認定の「百年観測所」に思いをはせる元八重山気象台職員の正木譲さん(85)=登野城=は、八重山の気象業務に従事しながら地域の文化や民俗、動植物への生態研究に尽力した岩崎卓爾氏の銅像を見つめながら、「岩崎氏の自然の力を見る目を養う教えが受け継がれている八重山気象台を世界が認めてくれた」と喜びをかみしめた。
この日の除幕式に元職員代表として出席した正木さんは、1954年2月1日に八重山高校を卒業して入所。同年1月に開所した西表島気象観測所(現西表島特別地域気象観測所)に勤務するなど、八重山では18年間業務に携わり、その後は南大東地方気象台長などを歴任して1990年3月に退職した。
設置された認定プレートの後ろにある岩崎氏の銅像は、太平洋戦争中に敵機の爆撃により銃弾が2発貫通。穴が空いたままの銅像を入所した正木さんら当時の職員で修復したという。
八重山勤務時代の1977年7月31日に石垣島を襲った台風5号の最大瞬間風速70・2㍍を経験し、「風雨が弱くなるのを見計らって所外で観測機器のメンテナンス作業を行い、非常に怖くて大変だった」と振り返り、「何があっても岩崎氏の物の見方や考え方が職員教育に生かされていた。それは今も同じ。次の100年を目指してほしい」と期待を寄せた。