■合同練習で「型」守れ
今年の正月は暖冬で観音堂、桃林寺は初詣の人たちでにぎわった。旗頭を立て新年をことほぐ公民館もあった。ただ、新年に旗頭を立てるという習慣や伝統がないだけに市民からは「なぜ正月に旗頭か」という声も聞かれた。青年たちの意気込みや思いつきだとすれば伝統文化の面からも検討すべきだ。
昨年は県指定無形文化財技能保持者に、八重山古典舞踊19人、八重山伝統舞踊11人が追加認定された。本土や本島を拠点に活躍する三線7人、舞踊3人も認定された。八重山芸能の広がりをみることができる。
これだけの広がりともなれば型の崩れが懸念される。それを防ぐには合同練習が必要だ。
芸術が精神のおもむくまま自由に表現するものだとするなら、伝統技能保持者は芸術家ではない。型を守るひとたちである。技能は日々の鍛錬でしか型の崩れを止めることはできない。それだけに日々精進が求められる。
■若手の新しい潮流に期待
石垣市民会館が開館して八重山の古典芸能も大きな変化をみせた。音響や舞台など近代設備を備えた施設での公演は、それに見合うように村芝居風の芸能を昇華しやがて全盛期を迎えた。それには実演家たちのたゆまぬ研さんと故・森田孫榮、宮城信治氏らの厳しい指導や批評があったことも忘れてはならない。
今日、新聞社主催や後援による古典民謡コンクール、芸能の夕べ、郷土芸クラブ、本島における八重山舞踊のコンクールなど芸能人口のすそ野が広がり、一見華やかに見えるが、型の崩れなど問題も多い。厳しい指導者や批評家がいなくなったことも質の低下や粗忽(そこつ)さが目立つ要因であろう。
昨年は若手実演家たち70人余による「かしなり ぬきなり」公演が流派を超えて実現した。かつての流派間の厳しい対立からは想像できない新しい潮流として高く評価される。若手が切磋琢磨(せっさたくま)し閉鎖的な八重山芸能界に風穴を開け、他の分野にも波及をもたらしてほしい。
■「躍番組」にも挑戦を
八重山には多くの「躍番組」が残されており、それにも果敢に挑戦してほしい。そのためには実演家、郷土史家、演出家らの協力体制が必要だ。
大和芸能の謡や仕舞などの研究もすべきではないか。多くの謡本が残されている。「躍番組」には多くの仕舞が演じられている。大和芸能が八重山の芸能に影響を与えたことが推測できる。今は演目でしか知ることのできない「志手名節」や「心中節」(吉田)は伊江島で演じられており、参考にしながら復元に挑戦してもらいたい。
八重山博物館所蔵の浄瑠璃「ひらがな盛衰記」が昨年、東京で翻刻され、文弥節でうたわれ復元した。今年はその発表会が開かれるという。また昨年は、イギリス在住の琉球古典芸能研究家のロビン・トンプソン氏によって約150年前の首里系の「赤馬節」が歌われたと県紙が報じた。
八重山の「工工四」成立以前に首里で楽譜となった「赤馬節」は、おそらく欽定工工四ではないかと思われるが、それに記載されている八重山関係の節歌と、現在の八重山古典民謡を比較することでその相違や当時の歌唱法をたどることができるかも知れない。
八重山芸能研究は、本土や海外にも広まりつつある。地元の実演家や郷土史家に課せられた課題は大きい。地元の奮起を促したい。