八重山平和祈念館の企画展「ふる里を手離し ふる里を造った人たち」を観た。戦前、戦後の八重山に開拓入植した人々や集落の歴史に光をあてた▼石垣は風土病マラリアあるがゆえに未開墾地の多い島だった。ジャングルを切り拓き、焼いて田畑となす。猪の害や「開拓マラリア」に苦しみ、やがて住居を構え、学校を建て、ふる里とした労苦▼琉球王府時代には島分けによる強制移住、廃村を繰り返した歴史がある。明治24年、糖業奨励、土地貸与の「八重山開墾規則」に基づき中川虎之助の名蔵開拓、尚家お抱え首里士族の登野城シーナ原開拓がなされ、放火など地域社会混乱の末に失敗した▼昭和6年、農林省が「石垣町登野城嵩田開墾地移民規程」を告示。台湾からの農業移民が始まると、水牛使役などの高い農業技術に島民は圧倒され「次男、三男が耕す土地がなくなる」と水牛上陸阻止騒ぎもあった▼開南、川原は戦前から続く開拓村の成功例。戦後は自由移民、政府計画移民で17の集落が誕生した。開拓のしんがりが昭和32年の於茂登。マラリア撲滅はその5年後であった▼村々は人々が血と汗と涙で拓き、その子や孫が生まれ育ち、豊穣の大地とした豊かなふる里である。そのふる里を陸自配備の国策が奪ってはいけない。企画展は26日まで、無料。(慶田盛伸)
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