■今なお26万人余が避難生活
1万9千人の死者・行方不明者を出し、東京電力福島第1原発事故を引き起こした戦後最悪の災害となった東日本大震災から3年の11日、八重山も鎮魂の祈りに包まれた。この日石垣市と世界平和鐘の会沖縄県支部、石垣・岩手かけはし交流協会が追悼・復興祈念式を新栄公園で開催。250人の市民が参列して、南の島から犠牲者の冥福を祈り、1日も早い復興へエールを送るとともに、大震災を教訓に防災への決意を新たにした。
大震災から3年を経た岩手、宮城、福島の被災地は、ようやくがれきの山は除去されつつあるものの、今なお2600人余の行方不明者の捜索が続き26万7400人が仮設住宅などで不自由な避難生活を強いられるなど、復興の姿はまだまだ見えないという。
さらに福島原発事故も汚染水漏れなどのトラブルが相次ぎ、福島の人々は放射能の恐怖と風評被害にさらされて現在も13万人余が沖縄を含む全国に避難するなど事故収束のめどは依然立っていない。そうした福島の苦悩や教訓を生かすことなく原発再稼働へ突き進む政府の姿勢には憤りを禁じ得ない。
■常に防災対策点検を
石垣市の東日本大震災犠牲者追悼・復興祈念式は、時間の経過とともに風化する震災の記憶、教訓、防災に対する意識を薄れさせないようにと毎年開いてきており、今年は「わたしたちはわすれない」をテーマに開催された。
式で中山義隆市長らは、継続した支援と大震災の教訓を石垣市の防災に生かす必要性を強調したが、確かに支援をどう継続するか、防災の教訓をどう生かすかは八重山3市町にとって大きな課題であり、各役所は現在の防災や減災対策は十分かどうか常にチェックし、順次整備を進めていくべきだ。
石垣市の対策は2012年に見直された地域防災計画に反映され、着実に整備されつつある。それは明和大津波発生の4月に市独自の防災週間を設定しての大がかりな防災訓練や自主防災組織づくり、防災無線の増設拡充、津波の避難ビル指定、要援護者名簿作成による災害弱者のサポート体制などだ。
しかし海岸近くや埋め立て地などの低地に住む人々の命を守る対策はどうかというとそれはまだまだだ。
一方でそれは津波が襲ってきたら逃げ場のない竹富町の各島々も同様で、学校を高層化して避難ビルにするなどそれぞれ急ぎ整備の必要がある。
■被災地旅行も支援の一つ
大震災直後、郡民から6千万円余の義援金が寄せられた被災地支援だが、現在は被災者・避難者支援ネットワーク石垣島「ちむぐくる」(浦内克雄会長)はじめ石垣・岩手かけはし交流協会、八重盛48の会などの団体や個人がボランティアで活動を継続している。 年数が経つとどう支援してゆくか難しいが、それぞれができる形で支援したい。被災地を旅行し、買い物などで現地に金を落とすのも支援の一つだ。 石垣・岩手交流協会は、北上マラソンに合わせて毎年30人前後で3年連続ツアーを行い、被災地の宮古市や陸前高田、岩泉町などを訪ねた。悲惨な被災地を見ることで感じることは多い。