先日那覇に出かけた折、波の上宮近くの旭ヶ丘公園にある「戦没新聞人の碑」を訪ねた。安倍政権になって戦争が近づいている不安をよく耳にすることもあって、「同じ新聞人としてぜひ一度は」と思っていたので初めて訪ねた▼碑は1945年春から初夏にかけて戦火に包まれた沖縄で、砲煙弾雨の中約2カ月にわたり新聞を発行し戦死した新聞人を祀ったもので当時の沖縄新報、同盟通信、毎日新聞、朝日新聞の14人の名前が刻まれている▼同碑では毎年新聞労連などが慰霊祭を開き、「戦争のために二度とペンを、カメラを取らない、輪転機を回さない」と誓いを新たにする▼しかし昨今は安保法、共謀罪法などを強行し「戦前回帰」する安倍政権としっかり対峙(たいじ)するメディアがある一方、かつてのように政府べったりの危ういメディアもある▼新聞人の碑では、隣接の「小桜の塔」で「ふんばるガジュマル」と命名された古木を見つけた。それは小桜の塔に祀った米潜水艦の魚雷で犠牲になった「対馬丸」の児童ら1500人にちなんだものだ▼沖縄は今、辺野古や宮古、石垣が米軍基地やミサイル基地を強いられ、再び戦争の盾にされる危機にある。そのガジュマルは児童たちが基地反対の人たちを「今が踏ん張りどころ」と励ましているように見えた。(上地義男)
↧