【西表】太平洋戦争末期の1945年に波照間から西表へ強制疎開させられマラリアなどで亡くなった犠牲者の冥福を祈る忘勿石之碑慰霊祭が「終戦の日」の15日、西表南風見田海岸にある同碑前で行われた。慰霊祭を主催する同碑保存会の平田一雄会長(82)や疎開当時に同海岸で子どもたちに授業を行っていた波照間国民学校校長の故・識名信升氏の孫やひ孫らが訪れ、犠牲者を悼みながら恒久平和を願った。
正午から始まった式では、訪れた15人が黙とうをささげて献花し、平田会長が同碑建立のいきさつや疎開の様子など戦時の状況を説明。竹富町議会議員の山盛力氏(64)や遺族の金武正さん(68)も思いを述べ、平田会長は「いつの世までも平和であってほしい。こんな悲惨なことはあってはならないし、繰り返してはいけない。私たちが声を上げて伝えていきたい」と話していた。
信升氏の孫、信克さん(52)は、息子の信輝君(5)と参加し、「当時は水もなく、きっと大変だったと思う」と思いをはせ、「きょうは恒久平和を願った。これからの子どもたちにも引き継いでいきたい。今後もできる限りのことはしていきたい」と語った。
1945年は、4月に波照間から西表への疎開が始まり、1590人が移動。南風見田では、わずか4カ月で児童を含む85人が亡くなった。
同碑は、人命の尊さや戦争の悲惨さを伝えようと1992年に建立。同碑のすぐ近くにある岩に刻まれた「忘勿石 ハテルマ シキナ」の文字は、識名信升氏によるものとされている。