思い出の記念植樹が訪ねたらなくなっていたという話がある。管理不足や台風被災の立ち枯れで撤去されたり、施設管理者の裁量で別の場所へ移されたが当事者に伝達されず、後で騒ぎになったというもの▼記念植樹は公共の場所に多く見られ、定期異動のある関係職員たちがきちんと記録し養生管理して申し送りしない限り、同様なことは繰り返される▼とはいえ記念植樹は一世一代の大事業、枯れました、移植しましたではすまない。そこでトラブル防止策として八重山にふさわしい堅実な記念植樹、事業を考えてみた▼記念植樹は当事者任せだとそれぞれが好きな木を目立つ場所に植えたがる傾向になり偏ってしまう。それを行政の緑化計画に基づく樹種や場所に従って行うようにすれば不公平感もなくなるし、万一枯れて撤去されたり、移植や植え替えられても納得がいく▼記念事業のほとんどは大人数の善意によるものなので、思い切って全員に植樹してもらうことも一案。例えば、おもと岳のハゲ防止に山頂のユツル竹の移植作業、島には花見のできる場所が少ないので、かつて群生していたツツジ丘やデイゴ山を再生してもらうなど▼島人は記念植樹や記念碑作りが大好きな半面、植えっぱなし、作りっぱなしも多い。後の手入れも記念事業の一環にしたい。(仲間清隆)
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