■二枚舌の安倍首相
沖縄慰霊の日である。本島摩文仁にある平和の礎の刻銘者は24万1336人、県内出身者は14万9362人、八重山出身者は6238人である。戦禍の中で無念の死を遂げた全戦没者の御霊に哀悼の意をささげたい。
沖縄全戦没者追悼式典には安倍総理大臣やケネデイ駐日大使も昨年に続き出席する予定だ。戦没者の御霊の前では誰しもが「敬虔(けいけん)」な言葉や祈りをささげ平和の尊さを誓う。安倍総理は昨年、「全国民とともに、まぶたを閉じて、この地に斃れた人々の流した血や涙が、自分たちを今日あらしめていることを胸に深く刻んで静かに頭を垂れたい」「沖縄の人々がしてきたように、私たちの祖父母、父母たちがしてきたように、戦争を憎み平和を築く努力を惜しまぬ国民として歩む」と述べた。
だが、それが二枚舌であったことは現在国会で論議されている「戦争法案」を見ればハッキリする。憲法学者から「憲法違反」と言われながら、国民を守るのは学者でないと言い、積極的平和主義や後方支援などを振りかざし、世界中で戦争できる国に変貌させようとしている。辺野古新基地建設強行もその現れだ。
追悼式典で述べた沖縄戦の教訓から何一つ学んでいない。戦没者を欺いたといえる。
■市長は自衛隊配備反対宣言を
日本は戦後70年間戦争をしたことがないのが誇りだという。だがそれは、憲法が適用しない、米軍占領下の沖縄を隠れみのにしてのことだ。ベトナム戦争時、米軍の攻撃基地であった沖縄はベトナムの人から「悪魔の島」と呼ばれていたのである。「守礼の国」を悪魔の島へと汚名を着せ、戦後70年戦争しない国が誇りとは欺瞞(ぎまん)である。日本国家は沖縄を盾に戦中、戦後もアジアの人々の血と涙と関係していたことは明白であろう。
郡内各地でも追悼式典が行われるが、23日は第32軍の牛島司令官、長参謀総長が自決し、日本軍の組織的抵抗が終わった日である。しかし、戦争は軍首脳の自決など関係なく継続しており、八重山では6月1日、軍命で山岳地帯へ避難させられた人々がマラリアに罹患(りかん)し、死亡した時期である。
中山義隆石垣市長、外間与那国町長も昨年の追悼式典の弔辞で「平和の尊さを訴えた」。だが与那国への自衛隊配備は時間の問題であり、石垣島への自衛隊配備計画も進捗(しんちょく)している。自衛隊は軍隊である。中山市長もそのことを知っているはずだ。ならば沖縄戦、八重山戦の教訓に学び、平和の尊さ、敬虔さを大切にし、石垣市非核平和都市宣言の趣旨からも、戦争の危険を伴う自衛隊配備計画反対を追悼式典で宣言すべきであろう。その場限りの平和主義者であってはならない。
■戦争は一夜では起きず
戦争は一夜にしては起きない。国家が用意周到に計画し、国民が支持して起きる。戦争体験者は戦争は遠くで行われており、私たちと関係ないと思っていた。日々の生活に追われ、国がやるから、偉い先生が言っているからと疑うことはなかった。日本軍の蛮行など知らなかった。ちょうちん行列で祝賀し、軍神や特攻の魁らの「死」を賛美した。無関心は戦争の熱気で狂気となり、やがてマラリア地獄の死を招いた。無関心ほど恐ろしいものはない。戦争体験者の苦痛の反省の弁である。
無関心が戦争を招くという先人の反省を胸に刻み平和を希求する誓いを自らに課す日でもあってほしい。