110年前の久松五勇士の偉業と宮古のアララガマ魂を後世に継承しようと来月4日、当時の快挙を再現する計画が宮古の久松地区で進められている▼1985年以来30年ぶり2度目。既に「平成の五勇士」も選抜し準備は進んでいる▼日露戦争中の1905年(明治38年)5月、ロシアのバルチック艦隊を発見した宮古は通信施設がなかったため、石垣の伊原間まで急きょサバニを走らせ、日本軍に打電した。その時選抜された5人の漁民が「久松五勇士」▼日本軍には既に別の船から報告が入っていたが、しかし宮古から約120㌔の荒波を必死にかいを漕ぎ、さらに伊原間から町まで約30㌔の山道を走り抜いた勇気と偉業は、その後教科書に載り、第2次大戦の戦意高揚にも利用された▼そこで今回自衛隊配備の動きが進む中、政治的思惑を疑う向きもあるが、地元関係者らによると「100周年にやる予定が今年に延びただけ。あくまで先人の偉業とアララガマ魂を継承し、宮古・八重山の交流発展のため」とそれはなさそうだ▼しかしそういう疑念も今のきな臭い政治ゆえだろう。30年前は約20時間かけて漕破した昭和の五勇士を、宮古郷友はじめ伊原間住民ら約2千人が歓迎。伊波幸夫平良市長から内原英郎石垣市長に「平和メッセージ」が届けられた。(上地義男)
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