八重山平和祈念館の企画展「旧南洋群島に渡った沖縄県人~楽園から玉砕の島へ 70年の時を超えて~」が5月31日、同館第2展示室で始まった。6月29日まで。入場無料。
同展では、70年前にサイパンやテニアンなどの南洋群島で起きた地上戦や収容所での住民の生活、当時の様子を写真や資料で紹介。八重山移民の体験談も展示され、訪れた人々が当時の惨状をじっくりと見入っていた。
8歳までテニアンで過ごした経験がある金城政光さん(78)=南城市在住=は、旅行で石垣市を訪れた際、新聞で企画展を知り来場。「まさか旅先で当時の写真を見ることができるとは。懐かしい」と話した。
金城さん一家は当時、漁村で生活。米軍がテニアンを占領した際、家族に犠牲はなかったが、B29爆撃機が日本や沖縄に向けて飛び立つのを捕虜収容所で見たといい、「沖縄もテニアンのように焦土と化すのかと思うと、沖縄に住む祖父母のことが頭をよぎった」と当時を振り返った。
旧南洋群島は現在のミクロネシア連邦の一部。第1次世界大戦で日本が占領し、1919年にベルサイユ条約で日本の委任統治領となり、44年に米軍に占拠されるまでの約30年間を日本が統治した。
貧困と人口過剰にあえいでいた沖縄から多くの住民が新天地を求めて移住。現地でサトウキビ栽培やカツオ漁などで生計を立て、一時は現地住民の人口を上回る5万5000人が暮らしたといわれる。