尖閣列島戦時遭難死没者慰霊祭(尖閣列島戦時遭難者遺族会主催)が3日午後、石垣市新川舟蔵の慰霊之碑前で執り行われ、遺族6人が犠牲者を追悼し、鎮魂の祈りをささげた。慰霊祭は2002年から開催しており、ことしで20年目。昨年同様、新型コロナウイルス禍ということで規模縮小し、役員のみで行った。
住職による読経の後、参列者が焼香し、手を合わせた。携帯電話を通して電話越しに読経を聞く遺族もいた。
玻名城健雄会長(74)はこの日、同級生の安室義教さん=登野城=から預かった折り鶴細工を奉納。カラフルな折り鶴を配置し、中央に「鎮魂」の文字が記されている。遺族ではない安室さんは参列できなかった。文字紙作製には半年ほどかかったという。
玻名城会長は「来年はコロナが収束して、多くの遺族や関係者が慰霊祭に参加できるよう祈りたい」などあいさつした。
参列した宮良正之さん(74)=大川=は、遭難先の尖閣諸島で亡くなった当時2~3歳の姉・洋子さん、兄・邦雄さんを追悼。「姉は姉ちゃんぶって、泣くことを我慢していたと聞いた。もう、悲しいことが起こってほしくない。だいぶ前の話だが、姉と兄は小さいのに亡くなって残念だったと思う」と悔やんだ。
同事件は1945年7月3日、約180人を乗せた疎開船の第一千早丸、第五千早丸が米軍機の機銃掃射を受け、第五千早丸が沈没し、銃撃死や溺死で犠牲者が出た。慰霊之碑には80人の名前が刻まれている。生存者は魚釣島で約1カ月間の遭難生活を強いられ、餓死者も出た。遭難者の一部が小舟で石垣島に渡って救助を要請し、救助された。