豊年祭の時、勤務先の沖縄本島から帰省できなかったという話を八重山出身の警察官から聞かされたことがある。やむなく、実家に電話して、受話器越しに豊年祭のざわめきを聞かせてもらったそうだ▼電話がアナログ式だった時代。真っ黒な受話器を耳に押し当てている情景が眼に浮かび、島を思う気持ちが伝わってきた▼遠くにいても心が伝わるというならば、インターネットでも同じはずなのに、時に筆者が懐疑的になってしまうのは、デジタル通信を新しいテクノロジーとみる肌感覚があるからだ。デジタルネーティブの人たちとはきっと違う▼76回目の「慰霊の日」は3週間後だ。石垣市内の小中学校は13日まで休校のため、学校という空間で戦争について考える機会も大きな制約を受けるだろう▼石垣市と竹富町はすでに追悼行事の規模を縮小する方針を公表している。今はとにかく新型コロナウイルスの感染症を広げないことが最優先だ▼去年の「慰霊の日」には、沖縄タイムス社が希望者を募り、記者が代理で平和の礎でウートートして、その様子をネットで中継するという試みをやっていた。平和の礎的なバーチャル空間をつくり、悼む心をリレーするのである。使える技術はなんでも使ってみるしかない。なんだか試されているような気分になる。(松田良孝)
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