米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設問題をめぐり、民主主義論が盛んに論じられている。「知事選を通じてあれだけの民意が示されたのに政府はそれを一顧だにせず土砂投入を強行した。いったい日本に民主主義はあるのか」—といった議論である。
▶他県の模範に
政治学者で琉大名誉教授の江上能義さんが次のようなことを書いている。
「沖縄は戦後、米統治下で自治権を求めて米側の民主主義の原理に基づいて闘って民主主義を勝ち取ってきた歴史がある。本土にはない輝かしい歴史だ。民主主義の闘いという意味では他府県より進んでいる」(13日付琉球新報2面)。
その通りだと思う。沖縄は戦後、サンフランシスコ講和条約で本土から切り離され米軍統治下での生活を余儀なくされたが、その間に政治、経済、社会、文化などあらゆる面で欧米型の方法論を学んできた。民主主義もそうだ。
教職員の政治活動の制限や労働組合活動の禁止などをもくろんだ教公二法案の阻止闘争における労働組合側の勝利があった。米軍用地料一括支払い反対などを掲げた「土地を守る四原則」闘争でも民衆側の要求が実現した。
▶理不尽な介入
このことは何を意味するか。米国政府の出先機関としての高等弁務官側が民主主義の原理に基づいて民意を優先したということである。
復帰前後の沖縄の政治状況を比べると以上のように復帰前は直接米軍側と沖縄側が交渉することでドラマチックに問題解決が図られた。しかし、復帰後は沖縄と米側の間に日本政府が介入することによって沖縄の主張が通らなくなっている。なぜか。日本の米側に対する忖度(そんたく)が働いている。同時に国と国との交渉という外交の原則から米側は沖縄問題を日本政府に任せているからである。
日米地位協定の改定問題がその典型的なケースである。翁長前知事の呼び掛けで全国知事会が初めて決議するなど米軍が駐留する他国との比較でも明らかにおかしい協定の内実が明確になっているのに政府は動かない。
こうした米側に対する忖度を背景にした政府の沖縄差別はどこから来るのか。前述の通り沖縄がいち早く民主主義を勝ち取ったのに対して日本にはいまだに明治維新以前の封建思想や植民地主義の名残があるからではないか。そう勘繰りたくなるのである。
▶議論を尽くす
「民主主義のショーウインドー」 という言葉が復帰前の沖縄にはあった。目に見える形の民主主義が息づいていた沖縄の姿を示す言葉だろう。それを形として残していたのが旧県議会棟と言われる。旧立法院議事堂をそのまま使用していたもので、議場はいわゆる馬てい形をしていた。 行政側と議員側が対峙(たいじ)する形の現県議会と違ってほぼ楕円(だえん)に近い形をしていた。それに伴い2階の傍聴席も同じように馬てい形になっていた。少数意見を尊重し決して強行採決をせず最後まで議論を尽くす姿勢を表していたという。
行政主席や県知事選挙で保革が常に逆転を繰り返してきたのも民主主義の歴史であり、沖縄が誇りにしていい文化ではないだろうか。