韓国の地方都市、群山のパンの歴史を取り上げた本がある。オ・セミナら著「海を渡った『出雲屋』」(中村八重訳)▼松江出身の男性が朝鮮で開いた「出雲屋」は、のちにパン屋として繁盛するが、朝鮮の日本統治が終わったことで経営者一家は引き揚げていく。偶然にも、「出雲屋」があったその場所で、1948年に韓国人がやはりパン屋「李盛堂」を開いた。店主は「出雲屋」とは縁のない人物である▼筆者は、二つのパン屋を調べ上げ、パン屋という商売が韓国の一地方都市でどのように営まれたのか明らかにした。本書はその探求の道筋を描く▼ページをめくっていて気になったのは、パインに代表される八重山と台湾の関係である。日本と台湾というくくりでは見逃されていたかもしれないこの交流史は、韓国と日本というくくりでは抜け落ちていたかもしれないという意味で、群山のパンの歴史と似ている▼「文化の中心となるために重要なのは歴史である。歴史の厚みがなければ文化は成長しない」。筆者は、首都ソウルを中心とする韓国社会を意識してこう書く▼例外的なものとして脇へ追いやられがちな存在も、社会の多元性を担保するうえでは不可欠だ。背後に隠されたものごとに目を向けようとすることで、初めて見えてくるものがある。(松田良孝)
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