2016年度明和の大津波遭難者慰霊祭(石垣市主催)が24日午後、宮良タフナー原の明和大津波遭難者慰霊之塔で行われ、地域住民や防災関係者など約200人が参列した。
慰霊祭では中山義隆市長が「自然災害はいつ発生するか予測できず、その猛威の前になすすべはない。過去の教訓から学び、日ごろの備えが重要」とあいさつした。
明和の大津波についての作文を読み上げた平野素土(もと・新川小6年)さんは「社会の時間で自分で自分を守る『自助』を知った。しかし人は心のどこかで地震や津波は自分のところには来ないと思っている。防災の日がきっかけになれば」と述べた。
迎里美音(みおん・白保中3年)は「私の住む白保村の住人は明和の大津波で28人しか生き残らなかった。少ない人数で村を立て直し、復興した先人たちを誇りに思う」と話した。
明和の大津波は1771年4月24日午前8時ごろ、石垣島南東約40㌔で発生したマグニチュード7・4の大地震によって引き起こされ、9313人の命が奪われた。