ひと昔は「もう昔のことになったと感じられるほどの過去」らしい。八重山の海を見ていると、あまりの変容にため息をついてしまう▼竹富・石垣島間の海域で、魚で海が盛り上がる光景にあったことがある。島から目視できる近場が漁場だった。子どものころ、新川の舟蔵公園近くにウムズナー(イイダコ)採りに行き、かついで帰るほど大漁した。ギーラ(シャコガイ)も取れ、釣りに行き、魚の首飾りを作った▼それがいまは面影もない。本土復帰前はパイン工場の汚染水が流れ、美崎町の埋め立て工事が始まった。復帰後も次々と海を埋め、さらに土地改良で赤土が海を染めた。生活雑排水の増加や島を取り囲むような護岸造成が進んで豊かな自然環境を失った▼当時は、「島が発展しているね」と言われるのがうれしかった。島が経済的に潤うことが最優先で、環境問題に触れる人も少数。気がつけば、島はぼろぼろだった。それでも多くの人が「きれいな海」という▼最近は海浜クリーン活動が定期的に行われたり、監視活動も強化されている。ところが変わらないのがある。「浜下り」の慣習だ。旧暦の「ひな祭り」で、レクリエーションを楽しむのはいいが、大乱獲になりがち▼昔からの年中行事ということで、あまり問題視されない。だが自然環境を失えば、八重山はただのへき地でしかないのだ。(黒島安隆)
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