1999年9月21日、台湾でマグニチュード7・6の地震が起きた。筆者の友人はグループで台湾を視察中にこの地震に遭遇した。けがはなかったが、桃園国際空港になかなかたどり着けず、やっとの思いで帰ってきた▼友人によると、付かず離れずといった距離感で、友人のグループを追ってきた日本人男性が1人いたそうだ。心細かったのだろう。友人は日本語も台湾語も中国語も話せる。その姿に見込みを付け、友人を追うように桃園まで戻った▼日本では今月、台風21号のために関西国際空港が閉鎖される事態に陥っている。身動きが取れなくなった台湾人利用客への対応をめぐって批判が強まり、台湾の台北駐大阪経済文化弁事処の蘇啓誠処長(享年61)が自死した▼批判の中身や大阪弁事処の対応についてはさまざまな議論がある。しかし、だれかが命で償わなければならないことでは、もちろんない▼目を向けたいのは、日本側が外国人に対してどのような情報提供をしていたかという点だ。対応は行き届いていたのか▼問題は関西だけにとどまらない。情報にアクセスがしづらい人たちへ、八重山でどこまで支援できるのか。蘇処長は那覇分処の処長を務めたことがあり、八重山にも知己は多い。突然の悲報から、せめて何か宿題を引き出したい。(松田良孝)
↧