元世界ボクシング協会(WBA)のジュニアフライ(現ライトフライ)級王者で13連続王座防衛の日本記録をもつ具志堅用高氏(59)が20日、国際ボクシング殿堂入り後初めて帰省した。市内ホテルで八重山毎日新聞社のインタビューに応じ、「石垣島で生まれ育ったから今の自分がある。石垣島が基礎をつくった。何事も一生懸命頑張ること。諦めちゃいけない。結果は必ず出る」と語った。
殿堂入りについて具志堅氏は「ニューヨークから乗った機内で日本の新聞を見てすごいなと思い、同級生が東京に贈ってくれた県紙を見てまたすごかったんだなと思った」とあらためて偉業を実感する一方、東京に戻ってからはタレント活動に忙殺され、「昨日(19日)も3時間番組でスタジオに5時間いたよ。時差ぼけが抜けていないので大変だった」と苦笑い。
小さな島から世界チャンピオンになったことを問われ、「石垣島で生まれ育ったからこそ今の自分がある。世界をとるまでは苦しく、島に帰ろうかとも思ったが、チャンピオンになって沖縄に帰る、島に帰ると言い聞かせながら練習した。チャンピオンになってからも常に島のため、沖縄のためにと思っていたから、つらい練習も乗り越えることができた」と話した。
王座を4年半、守り続けるのは、並大抵ではない。心技体のすべてを維持、充実、強化しなければならないからだ。13度の防衛戦で印象に残るのは、ハイメ・リオス(パナマ)戦。リオスとは2度戦っており、初防衛戦で15回判定勝ちと苦戦したが、5度目の防衛戦では13回でマットに沈めた。
「リオスが一番強く、2戦とも苦戦したが、リオスをやっつけたことが13回の防衛につながった。防衛戦では選手のスタイルに合わせてボクシングを変えてきた。研究を重ね、技術も磨かれた。だから勝ち続けられるという自信にもつながった」という。
それができたのは「島で養った我慢強さ、精神面の強さがあったからではないか」と振り返る一方、 「あの当時、僕たちの先輩たちはパスポートで本土に渡り、仕事などを一生懸命頑張ってきた。みんなやってきたことは一緒、気持ちは一緒。僕はこれをボクシングでやってきただけだ」と、苦しい時代を歩んだ先輩や、時代をともにした同世代に敬意を払う。
子どもたちや若者たちに「いくらでもチャンスはある。目標をもって一生懸命頑張ってほしい」とエールを送った。