ことし2月に沖縄本島で亡くなった八重山民謡の大御所、山里勇吉さん(享年92歳)の遺志を受け、生まれ育った石垣市白保の屋敷(約458平方㍍)を地域のために役立ててほしいと、遺族が地縁団体の白保公民館(迎里和八館長)に譲渡する方向で話を進めている。公民館は今後、審議委員会に諮り、遺族と法的な手続きを行った後、正式に公民館所有とする考え。敷地内には白保村の水の神が祀られていることから、聖地として保護されることになりそう。
山里さんは1925年(大正14年)生まれ。52年に八重山郡全島とぅばらーま大会で優勝。その後、約60年、沖縄本島を拠点に県外や海外でも活動した。八重山音楽安室流保存会師範、琉球古典民謡最高師範。99年に沖縄県無形文化財「八重山古典民謡」保持者に認定され、八重山音楽の普及発展に大きく貢献した。 県社会福祉協議会資金づくりチャリティー公演の実行委員長として長年、企画・運営に携わり、2005年には県功労者、八重山毎日文化賞正賞を受けた。
生前は、白保公民館にテントを寄贈するなど、ふるさとを忘れなかった。白保出身であることを誇りに思い、白保特有の歌い方を堅持していたという。
遺骨は8日、白保の山里家の墓に納められ、門下生や遺族、公民館役員、一般市民らが参列した。
迎里館長は「井戸がある敷地内には水の神が祀られ、豊年祭には毎年、旗頭を奉納する由緒ある場所。生まれ村を誇りとしている先輩が私たちの誇りとなって帰ってきた」と山里さんの思いをかみしめた。
八重山音楽安室流室山会理事長の名幸諄子(じゅんこ)さん(78)は「白保生まれであることをいつも自慢していた。帰って来られて安心していると思う。敷地は地域の公共の場所として自由に活用してほしい」と話した。